ポール・ニッツ。Paul Henry Nitze。核戦略家。
10月19日、歴代政権の対ソ戦略策定や核軍縮交渉などに当たったポール・ニッツさんが死去。97歳。
1907年、アメリカ・マサチューセッツ州生まれ。ハーバード大学を卒業後、投資銀行家として活躍した後、40年ルーズベルト政権入り。第二次大戦直後には、広島、長崎の原爆被害を調べるアメリカ戦略爆撃調査団の副団長として来日。50年トルーマン政権で対ソ封じ込めの基本戦略を描き、核戦略を推進する「国家安全保障会議文書68号(NSC-68)」の策定に参画。62年にはケネディ大統領顧問としてキューバ危機解決に関与。ニクソン政権で戦略兵器制限条約(SALT)、レーガン政権では中距離核戦力(INF)削減交渉を担当するなど、カーター政権を除き、レーガン政権まで政府の要職を歴任した。