イシハラ・タカシ。元日産自動車社長。
12月31日、元日産自動車社長で、経済同友会代表幹事を歴任した石原俊・日産自動車相談役が、心不全のため死去。91歳。
1912年、東京生まれ。37年東北大学卒業後、日産自動車に入社。54年取締役に就任。60年、アメリカ日産を設立し65年まで社長を務め、77年日産の社長に就任。世界市場での日産車のシェア10%をめざす「グローバル10」戦略を策定。80年代にイギリスやアメリカでの現地生産や、フォルクスワーゲンとの提携など、積極的な国際戦略を推進した。これに反発する塩路一郎自動車労連会長との対立は世間の注目を集めた。会長に退いた85年から6年間、経済同友会代表幹事に就任。日米自動車摩擦や急速に進んだ円高など、日本経済が国際化する時期、財界トップとして積極的な発言も繰り返した。スポーツ好きとしても知られ、サッカーの2002年ワールドカップ招致委員会の会長も務めた。