コヅル・マコト。元プロ野球選手。
6月2日、プロ野球で初の年間50本塁打を放ち、「和製ディマジオ」と呼ばれた小鶴誠さんが、心室細動のため死去。80歳。
1922年、福岡県生まれ。飯塚商業高校卒業後、八幡製鉄から42年に名古屋(現・中日)に入団。49年、大映(現・千葉ロッテ)で打率3割6分1厘で首位打者を獲得。松竹(現・横浜)に移籍した50年、51本塁打、161打点で本塁打王、打点王の2冠を獲得してMVP。ゴルフにヒントを得て編み出した華麗なスイングでファンを魅了した。この年に記録した年間143得点、161打点、376塁打はいまだに破られていない日本記録。53年、球団後援会あげての大打者獲得「1000万円募金」で金山次郎選手とともに広島へ移籍。58年の引退まで在籍した。引退後は国鉄(現・ヤクルト)、阪神のコーチ、スカウトを歴任。当時無名だった掛布雅之選手を見いだしたことでも知られる。80年に野球殿堂入り。