ツチモト・ノリアキ。映画監督。
2008年6月24日、水俣病をテーマにした記録映画などで、海外でも高く評価されたドキュメンタリー映画監督の土本典昭さんが、肺がんのため死去。79歳。
1928年、岐阜県生まれ。早稲田大学に入学後、日本共産党に入党し、52年の早大事件で除籍となった。56年に契約社員として岩波映画製作所に入社。翌年フリーとなり、63年の「ある機関助士」で監督デビュー。65年のテレビ作品「水俣の子は生きている」以降、遺作となった「みなまた日記―甦える魂を訪ねて」まで、計17本の「水俣」作品を発表。71年の「水俣-患者さんとその世界」は、世界環境映画祭グランプリを受賞したほか、各国の映画祭に招かれた。その他の作品に、学生運動を扱った「パルチザン前史」、ソ連駐留期のアフガニスタンを取材した「もうひとつのアフガン」など。著書に「映画は生きものの仕事である」などがある。