フルタ・アツヤ。プロ野球選手、監督。
2007年9月19日、東京ヤクルトスワローズの古田敦也選手兼任監督が、記者会見を行い、選手としての現役引退と、監督としての退団を発表した。
1965年、兵庫県生まれ。野球を始めた小学3年時から、ポジションは捕手。高校時代は県大会の3回戦が最高成績だが、立命館大学では、関西学生リーグの春秋連覇に貢献するなど、注目を集めた。大学卒業後、トヨタ自動車に入社。社会人野球でプレーし、88年、ソウル五輪の日本代表に選出され、銀メダルを獲得した。翌89年、ドラフト2位指名でヤクルトに入団。緻密(ちみつ)な理論とデータに基づく「ID野球」を掲げる、野村克也監督(現、楽天)の指導を受け、プロ初年度の90年から正捕手に。同年、新人捕手初のゴールデングラブ賞を受賞。翌91年には、捕手では初(セ・リーグ)の首位打者を獲得。2度のリーグMVP、9度のベストナイン、10度のゴールデングラブ賞、9度の盗塁阻止率リーグ1位など、5回のリーグ優勝(うち日本シリーズ制覇4回)の原動力となり、球界を代表する捕手として活躍した。2005年、大学野球、社会人野球を経てプロ入りした選手としては初の2000本安打を達成。また、1998年には日本プロ野球選手会の会長に就任し、代理人交渉制度、セ・パ交流戦などを実現。2004年の球界再編問題では、プロ野球史上初のストライキを決断した。05年、球団からの監督就任の要請を受諾。野村監督(当時、南海)以来29年ぶりの選手兼任監督として話題になったが、チームの成績は伸び悩み、自身の出場機会も激減。2シーズン目での引退、退団となった。10月7日には、神宮球場で引退セレモニーが行われた。