ラッシャー・キムラ。本名、木村政雄。元プロレスラー。
2010年5月24日、「金網デスマッチの鬼」の異名をとり、晩年は朴訥(ぼくとつ)な語りのマイクパフォーマンスで人気を集めたプロレスラーのラッシャー木村さんが、腎不全による誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去。68歳。
1941年6月30日、北海道生まれ。高校卒業後、プロレスラーになる体力づくりとして大相撲の宮城野部屋に入門し、58年初土俵。幕下上位まで昇進したが「十両になったら相撲をやめられなくなる」と64年に廃業し、日本プロレス入り。 その後、東京プロレス、国際プロレスと移籍。69年ラッシャー木村とリングネームを改めた。70年10月にはドクター・デスと日本初の金網デスマッチを行い、「金網デスマッチの鬼」として国際プロレスを牽引。同団体崩壊後の81年9月、アニマル浜口、寺西勇とともに新日本プロレスの東京・田園コロシアム大会に殴り込みをかけた際、マイク片手にアントニオ猪木を挑発しなければならない場面で「こんばんは……」とあいさつをして場内を爆笑させた。84年の全日本プロレス移籍後も、朴訥な人柄を感じさせるマイクパフォーマンスで人気を博し、2000年プロレスリング・ノアの立ち上げに参加。03年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、04年7月10日に引退を表明。以後、闘病を続けていた。