シントウ・ヒサシ。日本電信電話初代社長。
1月26日、石川島播磨重工業の元社長で、NTTの初代社長を務めた真藤恒さんが、肺炎のため死去。92歳。
1910年、福岡県生まれ。九州帝国大学卒業後、播磨造船所に入社。戦後、NBC呉造船所に移籍。60年、合併により石川島播磨重工業が誕生すると造船部門の最高責任者となり、72年には社長に就任。船の標準設計方式を取り入れコスト削減を図ったことで「ドクター合理化」と異名をとった。相談役に退いた後、81年に「ミスター合理化」と呼ばれた同社出身の故・土光敏夫経団連名誉会長に請われ、民間出身者としてはじめて日本電信電話公社総裁に就任。同公社民営化に手腕を振るい、85年4月のNTT発足で初代社長に就任、88年会長に退くも、未公開株の譲渡をめぐるリクルート事件に関与し引責辞任。89年にNTT法違反容疑で逮捕。翌年、有罪判決を受け、控訴せず公職から身を引いた。著書に「造船生産技術の発展と私」「習って覚えて真似して捨てる」「NTTを創る」などがある。