ミヤタ・ユキノリ。元プロ野球選手。
7月13日、1960年代にプロ野球巨人で活躍し、「8時半の男」と呼ばれた宮田征典さんが肝不全のため、死去。66歳。
1939年、群馬県生まれ。前橋高校、日本大学を経て、62年、巨人に入団した。巨人V9の1年目となる65年、内臓が弱く、長いイニングを投げることには向いてない、との判断から抑え投手として起用された。当時はまだ投手の分業制(先発・中継ぎ・抑え)ができておらず、抑え投手の草分けとなった。伸びのある速球と、シンカーともカーブともいわれる「ミヤボール」を武器にリリーフだけで19勝をあげ、全体では20勝をマークした。69試合に登板し、いつも出てくる時間が同じという意味で、「8時半の男」と名づけられた。その後は持病によって満足な活躍をみせることはできず、69年に引退したが、巨人や日本ハム、西武、中日でコーチを務め、多くのエース投手を育て上げた。