フルタ・アツヤ。プロ野球選手。
9月17日、古田敦也会長率いる労働組合・日本プロ野球選手会と日本プロ野球組織の労使交渉が決裂。選手会はストライキ突入を決定。
1965年、兵庫県生まれ。立命館大学で活躍した後、トヨタ自動車入りし、ソウルオリンピックで銀メダルを獲得。90年、ドラフト2位でヤクルト入り。1年目からレギュラーとして活躍し、91年には首位打者のタイトルを獲得。93年、95年、97年、2001年のチームの日本一に貢献。97年、01年には日本シリーズMVPを獲得した。労組・日本プロ野球選手会の会長には98年に就任。2000年には、選手会での肖像権の管理、契約の際の代理人制度を認めさせた。04年6月にオリックスと近鉄が球団合併の合意を発表したことに端を発する、労組・選手会と日本プロ野球組織(日本野球機構NPB)との折衝では合併の1年間凍結を要求。NPB側は要求を拒否し、オリックスと近鉄は合併契約を締結し、NPBもこれを承認した。17日の選手会とNPBの労使交渉では、05年、新規参入により12球団制の復帰を「最大限努力すること」を求める選手会の要求をNPB側が受け入れず、交渉が決裂。18、19両日にはセ、パ計12試合、2軍戦5試合がストで中止となった。