マツシゲ・ヨシト。報道カメラマン。
1月16日、原爆投下直後の広島市中心部において、希少な資料となる写真を撮影した松重美人さんが、急性腎不全のため死去。92歳。
1913年、広島県生まれ。41年新聞記者となり、43年から中国新聞社写真記者。中国軍管区司令部報道班員だった45年8月6日の原爆投下直後、広島市中心部に入り写真撮影。あまりに悲惨な光景で、5枚の写真を撮るのがやっとだったという。写真は連合国軍総司令部(GHQ)ともめるのを恐れ、46年7月6日付の「夕刊ひろしま」(現・中国新聞夕刊)に掲載されるまで発表されなかった。被爆の約3時間後、爆心地から約2.3キロの御幸橋で救護を受ける女学生や座り込む人らを撮影した写真は、アメリカのグラフ雑誌「ライフ」にも掲載。被爆直後の様子を知る希少な資料として、広島平和記念資料館などで展示されている。新聞社を退社後は「語り部」として活動、「広島原爆被災撮影者の会」代表を務めるなど、内外で反核平和を訴え続けてきた。著書に「なみだのファインダー」がある。