イシダ・シンジ。パイロット。
8月13日、1970年の日航機よど号ハイジャック事件の時、機長を務めていた石田真二さんが、肺がんのため死去。83歳。
秋田市生まれ。19歳で航空機乗員養成所に入り、太平洋戦争時は夜間特攻隊の教官を務めた。56年、日本航空に入社。70年3月31日、機長として乗務していたよど号(羽田発福岡行き、乗客131人、乗員7人)が赤軍派メンバー9人にハイジャックされ、平壌(北朝鮮)へ飛ぶように指示された。途中、福岡空港と韓国・金浦空港で乗客は解放された。しかし、自身は金浦空港で人質の身代わりとして乗り込んだ山村新治郎運輸政務次官らとともに、北朝鮮まで飛行。赤軍派メンバーが北朝鮮に亡命したのち事件発生以来5日ぶりに帰国、山村政務次官とともに時の人となった。72年、日本航空を退社。その後は、他の民間企業でパイロットなどを務めた。
事件当時から、なぜ金浦空港に着陸したのか話題になったが、2006年3月に、これに関して「金浦空港に着陸したのは機長の意思」とする韓国の外交文書が公開された。しかし、石田さんは「管制塔の指示によるもの」と否定していた。