アントン・ヘーシンク。Anton Geesink。柔道家。
2010年8月27日、1964年東京オリンピックの柔道無差別級金メダリストで、国際オリンピック委員会(IOC)委員としても活躍したアントン・ヘーシンクさんが死去。76歳。
1934年4月6日、オランダ、ユトレヒト生まれ。61年の第3回世界選手権で初の世界王者となり、柔道がオリンピックの正式競技になった64年東京オリンピックの無差別級決勝で神永昭夫を破り日本に衝撃を与えた。65年の世界選手権も制し、67年のヨーロッパ選手権無差別級優勝を最後に引退。73年からはプロレスラーとして全日本プロレスのリングに上がった。78年のプロレス引退後は柔道の指導に専念。87年にはIOC委員に就任し、自ら発案したカラー柔道着の導入を主導した。97年には柔道の普及に努めた功績が認められ、勲三等瑞宝章を受章。2003年には国際柔道連盟(IJF)の柔道殿堂入りも果たした。