イマワノ・キヨシロウ。本名、栗原清志。歌手。
2009年5月2日、「雨あがりの夜空に」「スローバラード」などのヒット曲や、社会的なメッセージ性の高い楽曲で知られるロック歌手の忌野清志郎さんが、がん性リンパ管症のため死去。58歳。
1951年、東京都生まれ。高校在学中の68年に「RCサクセション」を結成、70年シングル「宝くじは買わない」でレコードデビュー。その後、それまでのフォーク路線から多様なジャンルの音楽を融合させたエレクトリックなサウンドに転じ、「ベイベー」「愛しあってるかい?」という観客への呼びかけと派手なライブパフォーマンスで、一世を風靡。「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」が大ヒットし、82年にはYMOの坂本龍一と資生堂のキャンペーンソング「い・け・な・いルージュマジック」を共作。88年のカバーアルバム「COVERS」では収録曲「ラブ・ミー・テンダー」の反核・反原発仕立てにした歌詞が問題視され、大手レコード会社・東芝EMIからの発売が中止される騒ぎとなった。同時期に「忌野に似た人物」が率いるという設定のザ・タイマーズという覆面バンドでも活動。テレビの生放送で発売中止の原因となった「ラブ・ミー・テンダー」などを放送自粛にしたFM東京やFM仙台を批判する曲を歌った事件は、今でも語り草となっている。91年にRCサクセションの活動を休止。以降、ソロやユニット、バンドを率いての活動を行い、建設会社のCMにも使われた「パパの歌」などをヒットさせた。また、93年に岩松了監督の映画「お墓と離婚」でスクリーンデビューしてからは、映画「カタクリ家の幸福」「チキン・ハート」「恋の門」「サヨナラCOLOR」「妖怪大戦争」、テレビドラマ「ボクの就職」「ギフト」「野ブタ。をプロデュース」などに出演。2006年喉頭がんと診断されたことを自身のホームページで公表し、治療のために活動を休止。08年2月に東京・日本武道館で復活コンサートを行ったが、左腸骨への転移が分かり、治療に専念していた。