ミヤザワ・キイチ。政治家。
2007年6月28日、自由民主党単独政権時代最後の首相で、保守リベラリスト、ハト派として発言を続けた宮沢喜一さんが、老衰のため死去。87歳。
1919年、東京生まれ。祖父は司法相と鉄道相を務めた小川平吉、父は衆議院議員の宮沢裕という政治家一族の長男。東京大学法学部を卒業後、42年大蔵省に入省。池田勇人蔵相の秘書官として対米折衝に当たり、51年のサンフランシスコ講和会議には、全権団随員として出席。53年参議院広島地方区から初当選。67年には衆院に転じ連続12回当選。62年経済企画庁長官として初入閣し、以後、通産、外務、大蔵などの主要閣僚を歴任。91年11月第78代首相に就任し、国連平和維持活動(PKO)協力法を成立させた。93年6月、政治改革関連法案をめぐり衆院を解散したが大敗を喫し、自民党は野党に転落。その後、小渕恵三、森喜朗内閣で蔵相を務め、2001年には初代財務相に就任。03年、当時の小泉純一郎首相の要請を受けて政界を引退した後も、憲法や外交問題などで発言を続けていた。