ベナジル・ブット。Benazir Bhutto。パキスタン元首相。
2007年12月27日、パキスタンのベナジル・ブット元首相が、総選挙に向け、首都イスラマバードの近郊ラワルピンディで開かれた集会で演説した直後、銃撃と自爆テロに襲われ、死亡。54歳。
1953年シンド州カラチ生まれ。父は大統領、初代首相を務めたズルフィカル・アリ・ブット。69年からハーバード大学、オックスフォード大学で学び、軍事クーデターが発生した77年に帰国。79年に父が汚職罪などで軍政に処刑されると、その跡を継ぎ、26歳の若さでパキスタン人民党(PPP)の総裁に就任した。84年1月、イギリスに亡命したが、86年4月の戒厳令解除後に帰国、PPPの共同総裁となった。88年の総選挙で勝利し、同年12月にイスラム圏初の女性首相に就任。90年には第2子を出産、在任中に出産した初の首相として話題になった。93年8月に首相を解任されたが、総選挙後の同年10月、再度首相に就任。96年11月、汚職などの罪で再び解任され、99年4月には、禁固5年などの有罪判決を受けた。ムシャラフ陸軍参謀長が無血クーデターで政権を掌握した祖国からは、事実上の亡命生活を余儀なくされていた。
2007年10月18日の帰国直後に、車列近くで自爆テロが発生、約140人が死亡するなど、暗殺の危険にさらされていたが、08年1月8日に予定されていた総選挙に向け、精力的に活動していた。暗殺は政府当局の責任だとして各地で暴動が起き、また、当局が発表した死因にも疑念が抱かれるなど、パキスタン国内の混乱は大きく、総選挙も2月に延期された。