タワラ・モエコ。本名、中野萠子。評論家。
2008年11月27日、女性や家族、教育問題などの評論で知られ、がん患者の支援活動にも取り組んだ評論家の俵萠子さんが、肺炎のため死去。77歳。
1930年、大阪府生まれ。53年に大阪外国語大学を卒業後、産経新聞社に入社。同僚だった俵孝太郎(現、評論家)との結婚後も、子育てをしながら取材活動を続ける。65年に退社し、女性問題や教育をテーマに評論家として活躍。離婚後も俵姓を名乗り、離婚した女性が自身の判断で婚姻中の姓を使えるよう民法改正に尽力。81年には、日本初の準公選(住民投票)で東京都中野区教育委員に就任。陶芸家として俵萠子美術館を開館するなど、多彩に活躍した(死去に伴い閉館)。乳がんを患った経験から、同じ病気の女性らと温泉で親交を深める「1・2の3で温泉に入る会」を2001年に結成。06年からは、がん患者団体支援機構理事長も務めた。著書に「ママ、日曜でありがとう」「俵萠子の教育委員日記」「癌と私の共同生活」などがある。