ヨシヤマ・ヒデコ。長崎原爆遺族会理事。
2008年1月31日、自らの被爆体験を修学旅行の生徒たちに語るなど、30年近くにわたって「原爆の語り部」として活動していた吉山秀子さんが死去。85歳。
1923年、長崎県生まれ。22歳のとき爆心地から1.2km離れた三菱長崎製鋼所で被爆。末の妹が被爆から数十年後、白血病によって52歳で世を去ったことをきっかけに、長崎平和推進協会の継承部会員として修学旅行の生徒たちに自らの被爆体験を話し始めた。88年にはアメリカ、ニューヨークでの国際連合軍縮特別総会に参加。89年の平和記念式典では、被爆者代表として「平和の誓い」を読み上げ、核廃絶を訴えた。肺の切除、乳がんによる両乳房の切除など被爆の後遺症で30回以上も入退院を繰り返しながら、2007年9月まで被爆体験を語り続けてきたが、10月、がんの転移が判明し入院していた。