フジサワ・ヒデユキ(もしくはシュウコウ)。本名、保。囲碁棋士。
2009年5月8日、豪快、華麗な棋風と酒やギャンブルにまつわる型破りな生き方で囲碁ファン以外の人をも魅了したプロ棋士の藤沢秀行さんが、誤嚥性肺炎のため死去。83歳。
1925年、神奈川県生まれ。5歳で囲碁を覚え、34年日本棋院の院生となり、40年入段。48年青年選手権で初優勝。57年首相杯争奪戦、59年日本棋院第一位決定戦、62年旧名人戦、69年早碁選手権、76年天元戦、77年棋聖戦と新設された棋戦の第一期で優勝を飾り「初物食いの秀行」の異名を取った。70年にも林海峰を破り名人位を獲得。77年から棋聖戦を6連覇。その後、二度にわたるがんとの闘病を経て復活を果たし、91年第39期王座戦では66歳で羽根泰正を破り、七大タイトル(本因坊・棋聖・名人・十段・天元・王座・碁聖)の史上最高齢獲得記録を更新。翌年の第40期王座戦で小林光一棋聖を3勝2敗で破り七大タイトル史上最高齢獲得記録を更新。タイトル獲得・優勝は計23回を数え、斬新で飛躍的な発想は「異常感覚」とも呼ばれ、対戦相手を震え上がらせた。98年引退。プロアマを問わず若手育成にも熱心で、秀行塾を主宰して彦坂直人九段、依田紀基九段らを育てた。99年には日本棋院を脱退。独自の免状を発行して日本棋院を除名されたが、2003年に和解して復帰した。また、酒やギャンブルにエピソードも多く、その破天荒な生き方で、囲碁ファン以外の人をも引き付けた。棋書の他、「八方破れ人生-天才勝負師の戦陣訓」「勝負と芸 わが囲碁の道」「野垂れ死に」などの著書があり、モト夫人の「勝負師の妻―囲碁棋士・藤沢秀行との五十年」も話題を呼んだ。