オオタ・ユウキ。フェンシング選手。
チダ・ケンタ。フェンシング選手。
ミヤケ・リョウ。フェンシング選手。
アワジ・スグル。フェンシング選手。
2012年8月5日、ロンドン・オリンピック、フェンシング男子フルーレ団体決勝が行われ、2004年アテネ・オリンピック金メダルのイタリアに挑んだ、太田雄貴らを擁する日本が、銀メダルを獲得。フェンシング団体では初めて表彰台に上がった。
太田雄貴(森永製菓)は、1985年11月25日、滋賀県生まれ。元選手だった父親に引き込まれ小学3年でフェンシングを始めた。高校総体(全国高等学校総合体育大会)では史上初の3連覇。同志社大学1年時のアテネ・オリンピックで初代表となる。2008年北京オリンピックでは、男子フルーレ個人で、個人・団体を通じての日本勢初のメダルとなる銀メダルを獲得。今大会が3度目のオリンピックとなる。
千田健太(NEXUS)は、1985年8月2日、宮城県生まれ。モスクワ・オリンピックの「幻の代表」だった元フェンシング選手の父の影響で、中学1年から競技を始めた。強豪の中央大学に進学し、2007年のワールドカップ東京大会の個人フルーレで5位。同種目で北京オリンピック代表。今大会が2度目のオリンピックとなる。
三宅諒(慶應義塾大学)は、1990年12月24日、千葉県生まれ。小学1年からフェンシングを始め、小学6年時には全国大会で優勝。慶応義塾高校在学中には17歳以下世界選手権の男子個人フルーレで優勝し、日本人として初めて世界一の座に就いた。2011年世界選手権代表。12年アジア選手権大会で3位。今大会がオリンピック初出場となる。
淡路卓(NEXUS)は、1989年7月26日、宮城県生まれ。東北工業大学高校から日本大学に進み、2008年の世界ジュニア選手権で優勝。11年世界選手権代表。今大会では団体戦の交代要員としての参加のため、日本オリンピック委員会が派遣する日本代表選手293人に含まれず、選手村に入ることもできなかった。準々決勝、準決勝と快進撃を続けた日本は、8月5日、決勝で過去6度優勝のイタリアと対戦。第8試合で相手との相性が悪い三宅に代わって淡路が出場し、一時は36-36の同点に追いつくなど大健闘を見せ、団体では初めてのメダルを獲得した。