ホリウチ・ツネオ。元プロ野球選手。
ヤマモト・コウジ。元プロ野球選手。
シマ・セイイチ。アマチュア野球選手。
2008年1月11日、野球体育博物館の表彰委員会は、競技者表彰として元巨人の投手の堀内恒夫氏、元広島の強打者の山本浩二氏、特別表彰で戦前のアマチュア野球で活躍した故嶋清一氏の野球殿堂入りを発表。08年から競技者表彰を選手としての成績を評価するプレーヤー部門と、指導者として評価するエキスパート部門に分けたが、エキスパート部門の該当者はなしであった。
堀内恒夫は、1948年山梨県生まれ。65年、第1回ドラフトで1位指名を受け、甲府商業高校から巨人に入団。プロ野球新人記録となる開幕13連勝を含む16勝2敗の記録を残し、新人賞と沢村賞をダブル受賞。巨人のエースとしてV9に貢献し、日本シリーズでは通算で最多の27試合に登板し、稲尾和久と並ぶ11勝をマークした。83年に現役引退。現役通算成績は、560試合登板、203勝139敗6セーブ、防御率3.2784。最多勝、最優秀防御率、セ・リーグ最優秀選手各1回。最優秀勝率3回、最優秀投手2回、沢村賞2回など。2003年10月から05年まで巨人監督を務めた。
山本浩二は、1946年広島県生まれ。広島の廿日市高校から法政大学へ進み、田淵幸一、富田勝とともに「法政3羽ガラス」と呼ばれた。69年ドラフト1位で広島東洋カープに入団。13年連続20本塁打をマークするなど、「ミスター赤ヘル」と呼ばれ、86年に40歳で引退するまで球界を牽引した強打者。現役通算成績は、2284試合出場、2339安打、通算打率2割9分、536本塁打は歴代4位。本塁打王4回、打点王3回、首位打者1回など。現役時代の背番号「8」は、広島球団初の永久欠番。88年から93年、2000年10月から05年まで広島監督を務め、07年からオリンピック日本代表チームの守備走塁コーチを務める。
嶋清一は、1920年和歌山県生まれ。県立海草中学校(現・向陽高校)では投手や一塁手として春夏合わせ6度甲子園(当時全国中等学校優勝野球大会)に出場。5年生だった39年夏の大会では全5試合を完封し、準決勝、決勝では2試合連続のノーヒット・ノーランという大記録で優勝。明治大学に進学したが、43年12月に軍隊に応召。45年3月、インドシナ半島沖で乗っていた海防艦が撃沈され、24歳で戦死。中学時代に、嶋と直接対決した西本幸雄・元近鉄監督が「生きていれば、戦後野球史は変わっていた」と語るほど、「不世出の左腕」であったといわれる。