ハラダ マサズミ。医学者。
2012年6月11日、水俣病研究の第一人者の原田正純さんが、急性骨髄性白血病のため死去。77歳。半世紀以上にわたり患者の診察を続け、患者の支援にも尽力した。
1934年9月14日、鹿児島県生まれ。熊本大学医学部卒業後、同大学院神経精神科教室で水俣病の研究を開始。水銀などの毒物が胎盤を通ることはないとされていた当時の医学界の定説を覆し、胎児が母親の胎内で有機水銀の中毒になる胎児性水俣病を62年に発表。胎児性患者の水俣病認定につなげた。一方で患者らが起こした訴訟に原告側の証人として立ち、その支援活動にも尽力。カナダや中国など、世界各地の水銀汚染や環境汚染物質による中毒の調査にも活躍した。熊本大学退官後は熊本学園大学に移り、水俣病問題を医学や社会科学などあらゆる分野からとらえなおし将来に生かす「水俣学」を提唱し、学際的活動を続けた。