ノムラ・カツヤ。プロ野球監督、元プロ野球選手。
2008年7月15日、プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルス監督の野村克也が、日本ハムとの対戦で、監督通算3000試合を達成した。選手としても3017試合出場を記録しており、選手・監督双方での達成は史上初。
1935年、京都府生まれ。54年に京都府立峰山高校からテスト生として南海ホークス(現・ソフトバンク)に入団し、キャッチャー(捕手)という、体力的にも精神的にもきわめて厳しいポジションをこなしながらも、57年には初の本塁打王となり、61~67年まで8年連続で本塁打王を獲得。加えて、62~67年まで打点王にもなったため、6年連続2冠、さらに65年は首位打者も獲得し、3冠王を達成した。さらにまた70~77年まで監督を兼任し、その間、73年にはパシフィック・リーグで優勝し、MVPとなる。守備面のキャッチャーとしても、打者心理を読んでピッチャーを巧みにリードし、76年には阪神から獲得した先発投手の江夏豊をリリーフ投手に転向させ、近代野球における救援投手の重要性を周知させた。しかし、77年に南海の監督を解任されると、みずから「生涯一捕手」を唱えて、78年にロッテオリオンズ、79年には西武ライオンズに移籍して現役としての活躍の場を求め、80年に45歳で引退した。90年にはヤクルト・スワローズの監督となり、データを重視したID野球を実践し、98年までにセントラル・リーグ優勝4回、日本シリーズで3回の優勝を果たした。98年には阪神タイガースの監督に就任するものの、2001年に退任し、02年、社会人野球チームのシダックスのゼネラルマネジャー兼監督(~05年)を経て、06年よりプロ野球東北楽天の監督に就任している。1989年には野球殿堂入りを果たすなど、選手としてのみならず、監督としてもその優れた成績が高く評価されている。