一般には「合意」の意味だが、政府と中央銀行との関係で用いられる場合は、政府と中央銀行の間で結ばれる政策協定を意味する。双方が共通の目標を定め、その達成に向けて実施すべき施策を決め、締結後は、政府、中央銀行ともに最大限の政策努力が求められる。元々は、アメリカで1951年に財務省と連邦準備制度理事会(FRB)が結んだ協定を指していた。当時は、国債が一定の金利を超えないようにFRBが市場で国債を買い支えていた。しかし、買い支えによる市中の通貨量の増大と低金利が、インフレを加速させる懸念がでてきたことから、国債価格の維持を求める財務省と、金融を引き締めたいFRBが対立。両者の間で、国債市場の安定化を図りながら、FRBの金融政策の独立性も認める内容の協定が成立した。また、イギリスのアコードでは、政府がインフレ目標を定め、中央銀行のイングランド銀行が目標達成のための金融政策を実施している。たとえば、現在の2%目標に対して、1ポイント以上目標からかい離した場合は、中央銀行総裁が理由や対応策、目標値に戻る期間の見込み、などを公開書簡として財務省に提出しなければならない。日本では、2002年に、小泉純一郎政権の竹中平蔵経済財政相が速水優日本銀行(日銀)総裁に、デフレ脱却を目的としたアコード締結を提案したが、実現しなかった。また、12年10月30日、前原誠司経済財政相と白川方明日銀総裁が連名で「デフレ脱却に向けた取り組みについて」と題し、政府と日銀が一体となってデフレ脱却をめざすとの共同文書をまとめたことに対して、事実上のアコード導入、との見方がなされた。同年12月、政権を獲得した安倍晋三自民党総裁は、19日の白川日銀総裁との会談で、デフレ脱却に向けて2%の物価上昇率目標の設定を要請するとともに、金融政策をめぐるアコードの締結を求めた。