第二次世界大戦後に誕生した日本の自動車メーカー、あるいは同社が製造した電気自動車のこと。2010年6月に、日産自動車の社員有志が、日産自動車の保存していた1947年型たま電気自動車E4S-47を実走行可能な状態にレストア(再生)し、お披露目したことで話題となった。自動車メーカーとしてのたま電気自動車は、立川飛行機を前身に47年6月に東京電気自動車として発足し、49年11月に社名をたま電気自動車に改めた。その後、電気自動車からの撤退、ガソリン自動車への参入などがあり、51年11月にたま自動車に改称、さらに、ガソリン車の車名を「プリンス」としたことから、52年11月にプリンス自動車工業に変更した。54年4月、中島飛行機を前身とする会社の一つで、エンジンの供給を受けていた富士精密工業と、富士精密工業を存続会社として対等合併した。富士精密工業は61年に社名をプリンス自動車工業に改称し、今に続く名車スカイラインを生んだが、経営の悪化から66年に日産自動車に吸収合併された。自動車としてのたま電気自動車は、47年5月に乗用車の試作1号車が完成し、6月に発表された。乗用車は4人乗りの2ドアセダンで型式名E4S-47と呼ばれた。モーターに日立製4.5馬力、電池に40ボルト162アンペアの蓄電池を搭載、最高速度は時速35kmで、1充電での走行距離は65kmだった。「たま」の車名は、工場が東京都北多摩郡府中町にあったことに由来し、後に社名にもなった。当時、ガソリンは統制下にあって入手が難しく、ガソリンなしで動く電気自動車の注目度は高かった。E4S-47は、48年に行われた商工省主催第1回電気自動車性能試験で第1位となり、高性能を実証した。たま電気自動車は順次改良が加えられ、48年には小型乗用車たまジュニア(E4S-48、E4S-49)、中型乗用車たまセニア(EMS-49)が登場した。49年型たまセニアでは、5.5馬力のモーターと80ボルトの蓄電池を搭載し、1充電で200kmの走行が可能だった。しかし、50年6月に朝鮮戦争が勃発すると、蓄電池の主要材である鉛が軍需物資として高騰(こうとう)し、また、ガソリンの流通が改善したこともあって、電気自動車の競争力が急速に失われたため、たま電気自動車も51年6月に生産が打ち切られた。