中央省庁などの幹部人事を決める際に、首相官邸で事前に審査する制度。政治主導で官僚人事を進めるため、橋本龍太郎政権時の1997年5月に設置された。メンバーは正副官房長官4人で構成。2007年8月、防衛省の事務次官人事をめぐって、小池百合子防衛相と守屋武昌防衛事務次官が対立したときにクローズアップされた。事の発端は、小池防衛相が守屋次官を退任させ、後任に警察庁出身の官房長を昇格させる人事案を内定したことにあった。守屋次官は事前に相談がなかったとして反発、塩崎恭久官房長官も閣議人事検討会議の了承を経ていないことに不快感を示した。こうした政府の混乱は、連日メディアで取り上げられたが、結局、同会議で新たに人事案が協議され、後任に増田好平人事教育局長を充てることで決着した。