北アフリカの小国チュニジアで2011年1月に起きた政変の通称。失業や食料価格の高騰などへの抗議デモに始まり、大統領の国外脱出に至った政変を、ネット上で、チュニジアを代表する花ジャスミンの名で呼ぶようになった。チュニジアでは10年12月中旬、中部の都市シディブジドで、失業中の青年が抗議の焼身自殺をとげたのを発端に、各地にデモが拡大し、11年1月には首都チュニスにも波及した。デモ参加者と治安部隊が衝突し、政府発表で23人、人権団体によれば60人を超える死者が出る騒乱となった。背景には、1987年11月の無血クーデター以来、5期23年にわたり政権を維持してきた、ジン・アビディン・ベンアリ大統領の強権体制に対する国民の不満があったという。北海道の2倍程度の広さの小国でイスラム国のチュニジアは、都市国家カルタゴの遺跡など観光資源に恵まれ、経済も好調だったが、世界不況で打撃を受け、失業率が高まっていた。ベンアリ大統領は、社会保障や教育の充実に努めるなど支持を得る半面、言論の自由規制や秘密警察の動員、親族による国営企業の民営化など、強権・腐敗体質に国民の不満がつのっていた。首都中心部でデモ参加者に十数人もの死者が出る事態に、ベンアリ大統領は、内閣総辞職と議会選挙の前倒し、次期大統領選への不出馬などを表明したが混乱は治まらず、1月14日、全土に非常事態宣言を発令。それでも抗議行動はおさまらず、ベンアリ大統領は同日サウジアラビアに出国、事実上亡命した。後任として下院のムバッザア議長が暫定大統領に就任した。