第二次世界大戦後、アメリカをはじめとする連合国と日本との間で、戦争状態を終わらせるために結ばれた条約。1951年9月8日、アメリカのサンフランシスコ市内で開かれたサンフランシスコ講和会議で調印され、翌52年4月28日に発効した。正式には日本国との平和条約(Treaty of Peace with Japan)という。対日平和条約とも呼ばれる。首席全権は吉田茂首相(当時)。会議に参加した日本を含む52カ国のうち、ソ連、ポーランド、チェコスロバキアを除く49カ国が条約に署名した。なお、主要交戦国だった中国については、当時アメリカが中華民国(台湾)、イギリスが中華人民共和国(中国)の招待を主張して折り合わず、参加していない。条約の発効によって連合国による占領は終了、日本は独立国としての主権を回復した。領土については、朝鮮、台湾、南樺太、千島を正式に放棄するとともに、沖縄(琉球)や小笠原諸島などは暫定的にアメリカの施政下に置かれることとなった。なお、この条約で日本が放棄すべき地域に竹島は含まれていない。戦争被害に対する賠償については、アメリカなど多くの交戦国が賠償請求権を放棄したため、日本の経済負担は大きく軽減された。一方、平和条約の調印と同じ51年9月8日に日米安全保障条約も調印されており、日本の主権回復後もアメリカ軍が国内に駐留することになった。