東京都大田区の東京湾沿いに位置する国管理空港。国管理空港とは、国土交通大臣を設置管理者とする空港のこと。1931年に日本初の国営の民間航空専用飛行場「東京飛行場」として開港し、第二次世界大戦後の進駐軍による接収を経て、52年に現在の正式名称「東京国際空港」になった。運営は、接収からの返還に伴い、53年から民間資本の日本空港ビルデング株式会社が行っている。2009年現在、1271haの敷地に3000メートル2本、2500メートル1本の滑走路があり、面積、滑走路数ともに成田、関西、中部の各主要空港を上回る規模を持つ。都心へのアクセスの良さに加えて、海沿いという立地から騒音問題が比較的少なく、深夜や早朝の離発着が可能なこともあり、国内線乗降客数は07年度に6495万人と、国内航空旅客数の約6割に上る。一方で、千葉県に成田国際空港(当時は新東京国際空港)が開港した1978年から、国際線は成田、国内線は羽田という役割分担を指す「内際分離」の原則が設けられ、国際線の大半を成田に移したことから、2009年10月現在、羽田離発着の国際線はソウル、上海、香港、北京へのチャーター便のみ。この原則の背景には、建設時の激しい反対運動から死傷者まで出した経緯を持つ成田への配慮があるとされる。近年、アジアの国際ハブ空港としての地位が韓国の仁川空港などに移り、アジアへの訪問者が日本を経由しない状況が指摘されるが、その要因の一つに、内際分離による国内線と国際線の乗り換えの不便さがあげられている。このため、10年10月に4本目の滑走路(2500メートル)の供用が始まり、現在約30万回の年間離発着可能数が約41万回に増加する羽田空港について、09年10月に前原誠司国土交通大臣が、国際線の本格的な導入に言及したが、成田の国際空港としての需要の低下が予想されることから、成田の関係者からは反発の声が上がった。