2010年1月12日16時53分(日本時間13日6時53分)に、カリブ海にあるハイチで発生した大規模な地震。アメリカ地質調査所(USGS)の発表では、震源地は首都ポルトープランスの南西約15km、震源の深さは約10km、地震の規模はマグニチュード(M)7.0。さらに、その後約10分間にM5.5を超える2回の強い余震が発生した。日本の情報通信研究機構は、首都では阪神・淡路大震災に匹敵する震度7の激しい揺れとの推計を発表している。USGSによると、ハイチは北アメリカプレートとカリブ海プレートの境界に近く、東西に2本の断層帯が走る地域。1751年に発生したM7.5の地震以降、大規模地震発生の記録はないが、地震の危険性が警告されていた。今回はそのうちの1本、エンリキロ断層の一部が左右に動いた横ずれ型と見られている。地震は人口約200万人の首都を直撃し、住宅だけでなく、大統領官邸をはじめ、官公庁、ホテル、病院などが軒並み倒壊、通信や交通、電気、水道などのインフラも寸断され、壊滅的な被害を与えた。ハイチは、全人口約900万人のうち8割が1日2ドル以下で生活する南北アメリカの最貧国で、インフラの整備が遅れ、建築物の安全性確認が不十分のために、被害が拡大したとされる。また、政変が続き国情が不安定なことから、2004年から国連平和維持活動(PKO)の国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)が派遣され、治安維持にあたっていたが、MINUSTAHも代表、副代表ら幹部3人が死亡するなど被災したうえ、首都機能がマヒした状態で救援物資が十分に行き渡らない状況のもとで治安が急速に悪化し、政府は10年1月17日に、治安維持を目的とした非常事態宣言を出した。被災者数は、1月22日の内務省発表によれば、死者は少なくとも11万1499人が確認され、負傷者は19万3891人、60万9000人以上が仮設キャンプで生活しているとされる。また、収容遺体数が15万人に達したとの1月23日の文化・情報相の発言も伝えられ、混乱の中で、被害はさらに拡大し、最終的に死者だけで20万人に達するとの見方も出ている。