ドーム型スクリーンに惑星などの天体の動きを投影するための機器、またはその施設を指す。天象儀とも呼ばれる。世界で初めてのプラネタリウムは、1923年、ドイツのハイデルベルク天文台のM・ウォルフとドイツ科学博物館のオスカー・フォン・ミラー、カールツァイス社の技師であるウォルター・バウエルスフェルトによって開発された。この第1号機「カールツァイスI型」は、6等星までの約4500個の恒星を映し出すことができ、太陽や月、水星や金星など5つの惑星の動きも再現できた。日本では、1937年に旧大阪市立電気科学館に設置された「カールツァイスII型」が初めてのプラネタリウムになる。カールツァイスII型は、投影星数が約9000個に倍増、さらに緯度変化にも対応したため、地球上の緯度の異なる地点からの星空も再現できた。これが現代のプラネタリウムの原型だと言われている。II型は第一次世界大戦前に27台が製造され、ベルリンやハンブルクなどのドイツの各都市からヨーロッパ、アメリカなど世界中に設置されていった。第二次世界大戦後、47年にアメリカのスピッツ社が中型のプラネタリウムの製造を開始。日本では、光学機器メーカーの千代田光学精工(現在のコニカミノルタプラネタリウム)が57年、初めて国産プラネタリウムを完成させた。翌58年に兵庫県で開催された科学大博覧会で一般公開され、大きな話題となった。その後、59年には五藤光学が日本で初めてレンズ投影式のプラネタリウムを開発。98年には個人で170万個の星を投影する移動式プラネタリウム「メガスター」を完成させた大平貴之が注目を浴びた。2000年に行われた日本天文学会と天文教育普及研究会の調査によると、00年時点で日本全国には大型プラネタリウムが約350機あると言われており、アメリカの800機に次いで世界第2位に位置している。10年には、東京都渋谷区にコニカミノルタプラネタリウム製の最新機種を導入した「コスモプラネタリウム渋谷」が開館、羽田空港の国際線ターミナルには、五藤光学の投影機を導入したカフェスタイルのプラネタリウム「プラネタリウム・スターリー・カフェ」(PLANETARIUM Starry Cafe)がオープンするなど、全国で新たなプラネタリウムの開館や最新投影機への入れ替えなどが続き、話題になっている。