前衛芸術家、岡本太郎(1911~96年)が原爆炸裂(さくれつ)の瞬間を描いた、横30m、縦5.5mの巨大壁画。燃えあがるがい骨や動物たち、キノコ雲や、水爆実験で被曝した第5福竜丸などが、迫力ある構図と強烈な原色で描き出され、岡本の最高傑作と評されている。68年から翌年にかけ、メキシコシティのホテルに展示するため、大阪万博(70年)のシンボル「太陽の塔」と並行してメキシコで制作された。ところがそのホテルが資金繰りの悪化により、建設途中で事業から撤退したため、未公開のまま行方不明となり、捜していた岡本の養女、敏子さん(故人)が、2003年9月になって現地の資材置き場で発見した。亀裂が走り、無惨に破損していた壁画は05年に日本に移送され、修復作業を行った後、06年7月に、東京で初めて公開された。岡本太郎記念現代芸術振興財団(東京都港区)は、岡本の生誕100周年となる11年までに恒久設置することを目指し、公的な場所、優れた観覧環境、設置の意義、地元の熱意、などを条件に、無償で寄贈するための候補地を募集。人類初の原爆投下地・広島市や、「太陽の塔」がある大阪府吹田市、岡本のアトリエと自宅があった渋谷区が正式に立候補。3自治体が激しい招致運動を行った結果、08年3月18日、財団は渋谷区のJR渋谷駅西口と複合商業施設「渋谷マークシティ」を結ぶ連絡通路を設置場所に決定した。