日本の弦楽器。「たいしょうごと」あるいは「たいしょうきん」と読む。1912年(大正元)、名古屋の月琴奏者、森田吾郎(本名・川口仁三郎)が、家庭でもっと手軽に音楽を楽しめる大衆楽器の必要性を感じ、二弦琴にタイプライターのキーの構造を組み合わせて発明した。楽譜が数字で表されることや、左手で押しボタンを操作して右手の義甲で弦をはじくという簡単な演奏法のため日本中に広まった。26年ごろには主に東南アジア方面への輸出も盛んになったが、第二次世界大戦によってブームは衰退した。59年、作曲家の古賀政男が自身で「人生劇場」を演奏したことにより再び脚光を浴びた。75年ごろには、従来のソプラノ音域に加え、アルト、テナー、ベース音域の4種の大正琴が開発されてグループ演奏(アンサンブル)が楽しめるようになり、愛好者が100万人を超えるポピュラーな楽器となった。93年に文部省(現・文部科学省)認可の社団法人大正琴協会(http://www.taishokoto.or.jp/)が創立され、無料講師の派遣を行うなど普及に努めている。所属団体は、琴修会(名古屋市)、琴城流(静岡県浜松市)、琴伝流(長野県駒ヶ根市)。大正琴が作られて100年目となる2012年9月16日、東京都港区において全国の大正琴愛好者が流派を超えて演奏する「2012全日本大正琴振興会全国大会」が、過去最多の24団体約800人が参加して開催された。