アフガニスタンの中部山岳地帯にある仏教遺跡群。ヒンドゥークシ山脈を削り込んで造られた高さ約55メートルの「西大仏」と同38メートルの「東大仏」を中心に、5世紀頃から9世紀頃にかけて造営された1000にも及ぶ石窟と僧侶たちが暮らした仏堂、仏塔、及びそこに祀(まつ)られた無数の仏像や、内部を彩る天井画、障壁画などから成る。東西交易の要衝に位置し、古くからからオアシス都市として栄えたが、この地に仏教文化が根付いたのは、1~3世紀頃栄えたクシャン朝時代とされる。仏典を求めてインドに赴いた唐の僧、玄奘三蔵が646年に著した「大唐西域記」には、すでに西大仏や東大仏、数十カ所に及ぶ伽藍が建ち並び、僧侶の数は数千人、大仏は黄金に輝いていたと書かれている。その後イスラム勢力の侵入や、1221年、チンギス・ハーン率いるモンゴル軍による破壊と殺戮などにより、この地は廃虚となる。以来長く歴史に埋もれ、ほとんど記録に現れることはなかったが、20世紀半ばにようやく国際的な調査・研究が始まり、その学術的、美術的価値が高く評価されることとなった。しかし、1979年のソ連侵攻に始まるアフガン紛争で再び戦火に巻き込まれ、イスラム原理主義組織タリバンは、2001年3月、東西の大仏を爆破。その他の仏像や仏画の多くも破壊された。タリバン政権崩壊後、日本を始め多くの国が修復支援に乗り出し、03年には「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」として世界文化遺産に登録。早急に保護の必要な「危機遺産」にも指定された。12年12月、修復を担当するドイツの調査隊が、西大仏の安置されていた仏龕(ぶつがん)の岩壁が崩落の危機にあると発表。12日共同通信が報じた。