伊勢神宮に仕える皇族女性「斎王(さいおう、いつきのひめみこ)」が住んだ御所。「さいくう」「さいぐう」、あるいは「いつきのみや」などと読むこともある。斎王の住む内院と、「斎宮寮」と呼ばれる役所から成り、東西約2キロ、南北約700メートルの区画に、神官や役人、女官など500人余りが暮らしたとされる。三重県明和町にある跡地は、1979年に「斎宮跡」として国の史跡に指定され、現在も計画的な発掘調査が続いている。2012年1月17日、三重県立斎宮歴史博物館は、10年に行われた第171次調査で、「いろは歌」が墨書された土器片が出土していたことを発表。11世紀末~12世紀前半ころの土師器(はじき)で、内側に「ぬるをわか」、外側に「つねなら」の文字が見られる。平仮名のいろは歌としては国内最古で、当地の女官の手習い跡と見られる。斎王は、天皇の即位に伴って選ばれる未婚の内親王(ないしんのう)(天皇の娘、姉妹)または女王(内親王以外の皇族女性)で、伝承時代を除けば、天武天皇の娘で674年に下向した大伯皇女(おおくのひめみこ、「大来」とも書く)から、1333年に選ばれた後醍醐天皇の娘・祥子(しょうし、さちこ)内親王まで、約650年60人以上にわたって続いた。810年、賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)にも斎王を置くようになると、前者を「斎宮」、後者を「斎院(さいいん)」と呼ぶようになる。弟・大津皇子の悲劇を嘆く秀歌を残した大伯皇女をはじめ、斎王(斎宮)は王朝文学などにしばしば登場。例えば「伊勢物語」第69段で主人公と恋に落ちる斎宮は実在の恬子(てんし、やすこ、やすらけいこ)内親王とされ、「源氏物語」では六条御息所(ろくじょうのみやす〈ん〉どころ)が娘の伊勢下向により源氏と別れるが、この母娘のモデルは、歌人で名高い徽子(きし、よしこ)女王(斎宮女御 さいぐうのにょうご)だという。