奈良市東大寺にある正倉院宝物の目録である「国家珍宝帳」で、「大刀(たち)」の項の筆頭に記された御物。756(天平勝宝8)年、聖武天皇の遺愛品として、光明皇后が他の品とともに東大寺へ献納したが、皇后が亡くなる半年前の759(天平宝字3)年12月に蔵から出され、リストには外したことを意味する「除物(じょもつ)」の付箋(ふせん)が付されて所在がわからなくなっていた。1907(明治40)年、大仏殿の改修中に大仏の足元から2本の太刀が出土。土地を鎮めるための「鎮壇具」として、30(昭和5)年に国宝指定を受けたが、2010年9月30日、この「金銀荘大刀(きん・ぎんそうのたち)」の保存修理を任された元興寺文化財研究所がX線撮影を行ったところ、それぞれの刀身に「陽釼(よう(の)けん)」「陰釼(いん(の)けん)」の銘文を発見。大きさや構造も記録と一致することから、およそ1250年間失われていた「陽寶釼(陽宝剣 よう(の)ほうけん)」「陰寶釼(陰宝剣 いん(の)ほうけん)」であることが判明した。10月25日に同研究所と東大寺が発表。「除物」は全部で7点あるが、現物が見つかったのは初めて。今後は、この2大刀とともに出土した鎮壇具17点の中に、残りの「除物」があるのかどうか、あるいは大仏殿完成後に埋められたこれらの品々には、「地鎮」とは別の意味があったのではないか、などの点が調査の対象となる。