校倉造(あぜくらづくり)で知られる奈良市東大寺の宝物庫、正倉院に納められた美術工芸品や古文書などの御物のこと。756(天平勝宝8)年、東大寺を建立した聖武天皇の七七忌(四十九日)にあたって、妻の光明皇后が大仏に献納した天皇遺愛の品々六百数十点を中心に、それ以後に行われた法会に用いられた道具などをあわせて、整理済みの品だけでも約9000点という膨大な量が現在にまで伝わっている。絵画、書跡、織物、金工、漆工、木工、刀剣、陶器、ガラス器、楽器、仮面、薬、写経、戸籍など、その種類は多岐にわたるが、中には、現存する世界で唯一の五弦琵琶「螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)」や、1400年ほど前のペルシャでつくられたガラス器「白瑠璃碗(はくるりのわん)」など、遣唐使が唐から持ち帰った西域の名品が数多く含まれ、「正倉院はシルクロードの終着点」とも言われる。建物は北倉、南倉、中倉の3棟から成り、光明皇后の献納品は北倉に納められている。長く東大寺が管理してきたが、1875(明治8)年に国の管理下に置かれ、内務省、農商務省などを経て1884(明治17)年に宮内省(現・宮内庁)の所管となった。2010年10月25日、明治の大仏殿改修時に大仏の足元から出土した大刀二振りが、光明皇后献納品の目録である「国家珍宝帳」に記されながら、のちに所在不明となっていた「陽宝剣(よう(の)ほうけん)」「陰宝剣(いん(の)ほうけん)」であることが判明し、大きな話題となった。