日本中央競馬会(JRA)が主催する中央競馬で、1984年に初めて無敗の三冠馬となった、「昭和最強の名馬」。完璧なまでの強さと、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ1世から採った名前から、「皇帝」と呼ばれた。1981年3月13日、北海道門別町(現・日高町)のシンボリ牧場で父パーソロン、母スイートルナ(母の父スピードシンボリ)の子として誕生。野平祐二厩舎に所属し、83年7月に新潟競馬の新馬戦でデビューすると、岡部幸雄騎手とともに連勝街道を進み、翌84年4月に皐月賞、5月に東京優駿(日本ダービー)、11月に8戦8勝で菊花賞を制し、セントライト、シンザン、ミスターシービーに続いて史上4頭目の三冠馬となる。無敗での達成は史上初だった。中1週で臨んだジャパンカップで、初めてカツラギエースに敗れるが、翌12月の有馬記念で雪辱。85年にも、天皇賞・春、ジャパンカップ、有馬記念を制し、史上最多のG1レース7勝を達成した。翌86年アメリカに遠征。G1のサンルイレイステークスに出走したが、レース中左前脚に繋靭帯炎(けいじんたいえん)を発症し、現役引退となった。通算成績は16戦13勝(うち海外1戦0勝)、総収得賞金6億8482万4200円。84~85年に2年連続年度代表馬、87年にはJRA顕彰馬にも選出。引退後は10億円で種付け権共有組織(シンジケート)が組まれて種牡馬となり、G1で4勝したトウカイテイオーなどを輩出。2004年に種牡馬を引退してからは、北海道や千葉県成田市のシンボリ牧場で余生を過ごしていたが、11年10月4日、眠るように息を引き取った。数日前から体調を崩していたという。年齢30歳。人間にすると100歳近い高齢だった。