新潟県胎内市にある古墳時代前期(4世紀前半)の円墳。南北約35メートル、東西約41メートル。2012年9月6日、長さ8メートル、幅1.4~1.8メートルの舟形木棺と人骨片、木棺に塗られていたと思われる多量の赤色顔料(水銀朱とベンガラ)、また靫(ゆぎ)、刀剣、銅鏡、勾玉(まがたま)など130点以上の副葬品が、未盗掘の状態で見つかったと市教育委員会が発表した。矢を入れる箱である靫は、鮮やかな漆の黒塗りで、ひし形の模様も確認される良好な保存状態だったという。これらの副葬品は、大和政権(ヤマト政権)期の要素をもつ。築造時期は316~330年ころとみられ、従来ではこの時期、大和政権の影響は、日本海側では石川県、富山県までしか確認されていなかった。今回の発見により大和政権の北限が約250キロ北上したことになる。日本書紀には、7世紀半ばに蝦夷(えみし)攻略の拠点として、越国(こしのくに)に城柵「渟足柵(ぬたりのさく)」「磐舟柵(いわふねのさく)」を設けたという記述があるが、その300年前に大和政権の深い影響が阿賀北地域にまで及んでいたことが明らかになった。