美術、文芸、音楽、演劇など芸術各分野の、功績顕著な優れた芸術家を優遇顕彰するために設けられた国の栄誉機関。文化庁の「特別の機関」で、芸術の発達に寄与する活動を行い、また重要な芸術に関する事項を審議、文部科学大臣や文化庁長官に意見を述べることができる。1907年、文部省美術展覧会(文展)の開催のために設けられた美術審査委員会を母体に、19年に帝国美術院として創設された。その後37年に、文芸、音楽、演劇、舞踊の分野を加えて帝国芸術院に拡充改組され、47年に現在の名称となった。2010年12月現在、院長は三浦朱門、3つの部と16の分科で構成されている。第一部(美術)は定員56人だが、日本画12人、洋画14人、彫塑9人、工芸5人、書3人、建築3人の計46人。第二部(文芸)は定員37人だが、小説・戯曲18人、詩歌10人、評論・翻訳5人の計33人。第三部(音楽・演劇・舞踊)は定員27人で、能楽6人、歌舞伎8人、文楽1人、邦楽5人、洋楽4人、舞踊1人、演劇1人の計26人。日本画家の上村淳之、建築家の谷口吉生、作家の黒井千次、曾野綾子、丸谷才一、三木卓、翻訳・評論家の菅野昭正、狂言師の茂山千作、歌舞伎の尾上菊五郎、中村吉右衛門、片岡仁左衛門、バレリーナの森下洋子、映画監督の山田洋次などがいる。また会員以外の者で、卓越した芸術作品を制作した者、および芸術の進歩に顕著な貢献をした者を対象に、毎年、恩賜賞と日本芸術院賞を授与。日本芸術院賞は、1941年から始まり、第二次世界大戦中・戦後の一時期を除き、2009年度で66回を重ねている。恩賜賞は、日本芸術院賞受賞者の中から特に選ばれて贈られる。授賞式は天皇皇后両陛下が臨席し、毎年6月かまたは5月に行われる。10年11月29日、新会員5人を発表。日本画の福王寺一彦(55歳)、洋画の山本文彦(73歳)、工芸の武腰敏昭(70歳)、森野泰明(76歳)、評論・翻訳の粟津則雄(83歳)で、10年12月15日付で文部科学大臣から発令される。