福岡県太宰府市にある遺跡。2012年6月12日、同市教育委員会が、人名や身分などの戸籍の内容を記した飛鳥時代後期(7世紀末)の木簡が見つかったと発表した。用いられた語句から、中央集権国家が完成したとされる大宝律令の制定(701年)より以前に作成されたとみられ、正倉院に現存する最古の戸籍(702年)より古く、国内最古の戸籍関連史料として注目される。木簡は古代の太宰府政庁から北西1.2キロの河川跡から出土。縦31センチ、横8.2センチ、厚さ8ミリ。大宝律令以前の地方行政単位で、のちの「郡」に当たる「評(こおり)」や、685年に天武天皇によって定められた官位「進大弐(しんだいに)」の表記があり、7世紀末、685~701年のものと判断された。人名は「建ア(部)身麻呂(たけるべのみまろ)」「白髪ア(部)伊止布(しらかべのいとふ)」など16人分が確認され、21~60歳の健康な男子を指す「政(正)丁」や「兵士」などの身分、「戸」(世帯)の増減を示す文字もあった。戸籍とは、口分田支給、課税、身分把握、兵の徴発などを目的に、世帯・家族集団(戸)単位で人を登録した台帳。大宝律令以前で、最古の全国的戸籍は、670年の庚午年籍(こうごねんじゃく)とされ、続いて689年に、持統天皇が飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)を制定し、翌690年に庚寅年籍(こういんねんじゃく)が作成されたがいずれも現存していない。発見された木簡は、庚寅年籍を更新した内容を記したものとも考えられ、庚寅年籍の存在と、飛鳥浄御原令が運用されていたことを裏付ける初の資料となる。