神社建築の様式で最も一般的とされる「流造」のうち、正面の柱が4本、柱間の間口が3間あるもの。2008年10月1日、滋賀県文化財保護協会は、東近江市野村町の金貝(かなかい)遺跡から、平安時代前期(9~10世紀)の建立と見られる三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の建物跡が見つかったことを発表。これは、現存する三間社流造最古の建物とされ、国宝にも指定されている香川県坂出市の神谷(かんだに)神社本殿(1219年建立)より200~400年古いことになる。流造は、破風を側面にした切妻屋根を持ち、正面側が庇(ひさし)のように前へ張り出した様式で、正面の柱が2本で間口が1つなら「一間社」、柱が3本で間口が2間なら「二間社」と呼ぶ。ただ、一般的な流造は柱の下に木材や礎石などの土台を持つが、金貝遺跡の遺構は直接地面に埋める「掘立柱」形式で、これは「神明造」など、これまで別系統とされてきた、より古い様式と同じであり、神社建築史上貴重な発見とされる。