毎年1月2~3日に、東京都千代田区大手町の読売新聞東京本社前から神奈川県箱根の芦ノ湖間を、往路5区間(108.0km)、復路5区間(109.9km)の合計10区間(217.9km)で競う、学生長距離界最大の駅伝競走。正式名称は、東京箱根間往復大学駅伝競走。正月の風物詩ともなっている。関東学生陸上競技連盟(関東学連)に加盟する大学で、前年大会でシード権を獲得した10校と予選会を勝ち上がった9校に、関東学連選抜を加えた合計20チームが出場する。日本初のオリンピックマラソンランナー金栗四三が、ストックホルムオリンピック(1912年)での途中棄権という自らの苦い経験から「世界に通用するランナーの育成」を目指し、長距離・駅伝普及に努めながら箱根駅伝創設を呼びかけた。それに対して、早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、東京高等師範学校(現・筑波大学)の4校が応じて、1920(大正9)年に第1回大会が実現した。2008年で第84回を数える。1月2~3日開催となったのは第32回大会(1956年)から。長い歴史の中、箱根駅伝では、数々のドラマが生まれている。例えば、1区を走るスピードランナーたちが僅差で飛び込んでくる2区は、長く厳しい上り坂を有し、平地での最長距離区間のため、序盤を制したい各校がエースを投入、“花の2区”と呼ばれている。過去、瀬古利彦(早大)、諏訪利成(東海大)、藤田敦史(駒沢大)など多くの名ランナーが走り、また、第79回大会では、順天堂大学の中川拓郎による15人“ごぼう抜き”の記録も2区で作られた。5区の山登りは23.4kmという最長距離の上、最もタイム差のつく区間である。逆に6区の山下りはスピードアップして一気に駆け下りるので、太ももがその後1週間使い物にならないという経験談も聞かれる。1994年の第70回大会で山梨学院大学が作った10時間59分13秒が総合優勝の最高記録。