財団法人日本相撲協会に所属する相撲部屋。史上最多の優勝回数32回を誇る昭和の大横綱(第48代)大鵬をはじめ、多くの力士を育てた名門だが、2013年1月13日に初日を迎えた大相撲初場所(~27日)を最後に閉鎖されることが決まった。1909年(明治42)、友綱部屋の関脇だった海山(かいざん)が二所ノ関を襲名し、引退後部屋を興した。大正期には目立った力士は出なかったが、昭和に入ると第32代横綱玉錦が誕生。第二次世界大戦後は八代目二所ノ関を継いだ元大関佐賀ノ花が、大鵬や大関大麒麟(だいきりん)らを育てて、全盛期を迎える。ほかにも、プロレスに転向してヒーローとなる関脇力道山や、引退後解説者として親しまれた関脇の玉ノ海と神風のほか、「土俵の鬼」と呼ばれた第45代横綱若乃花(初代)も一時在籍するなど、数々の名力士を生んだ。また、分家独立を奨励し、花籠、佐渡ヶ嶽、片男波(かたおなみ)が独立。それぞれ横綱や大関を輩出するなど、一門は大いに繁栄。ところが八代目が急死すると、大鵬(一代年寄)、押尾川(元大麒麟)、現役力士金剛らが後継者争いを繰り広げ、結局、八代目の次女と婚約した金剛が76年に十代目として部屋を継いだ。しかし、95年のマージャン賭博による親方逮捕をはじめ、さまざまなトラブルが続き、部屋のイメージが悪化。全盛期には120人もいた所属力士は、三段目以下の3人だけとなった。加えて2012年10月に親方が脳梗塞(こうそく)で入院。回復が遅れる中、13年11月には定年を迎えるため、3人の部屋付き親方から後継者を探したが、いずれも難色を示したため、閉鎖のやむなきに至った。