奈良県明日香村にある7世紀後半の古墳。2010年9月9日、明日香村教育委員会は、この古墳が飛鳥時代の天皇陵に特有の八角形墳であることが判明したと発表。同古墳はこれまでの発掘調査により、石室が2室あることや、当時天皇などの高位被葬者のみに用いられた漆の棺「夾紵棺(きょうちょかん)」の破片が出土したことなどから、「日本書紀」に娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)と合葬されたとの記述がある斉明天皇陵である可能性が指摘されてきた。今回の調査では、初めて墳丘周辺を発掘。北西のすそに凝灰石の切り石を並べた幅1mほどの敷石列を3辺発見した。辺と辺とがなす角度はいずれも135度で、正八角形であることを示している。一辺の長さは約9m、対辺は約22mと推定され、その外側を囲む砂利敷きを含めると、対辺は32m以上に及ぶ。また石室は、推定80トンの巨大な凝灰岩をくりぬき、側面に約5トンの大型切り石を並べた類のない構造であることもわかった。斉明天皇は、舒明天皇の皇后で、天智・天武両天皇の母とされ、642年に皇極天皇として即位。大化の改新で弟の孝徳天皇に譲位したが、その崩御後に斉明天皇として再び皇位に就いた。今回の発見で、専門家は同古墳が斉明天皇陵でほぼ確定したと見ているが、宮内庁は同県高取町にある「車木(くるまき)ケンノウ古墳」を斉明陵としている。