江戸城内にあった将軍の正室(せいしつ。将軍の正妻)や側室(そくしつ。正室以外の妻)の住居。大奥は、将軍が日常暮らす中奥から2本の御鈴廊下(おすずのろうか)でつながれており、入り口は厳重に管理された。大奥には、将軍の別宅としての御小座敷(おこざしき)、正室の住居、側室の部屋、大奥女中の勤務する部屋(以上を御殿向・ごてんむきという)、大奥女中の宿舎である長局(ながつぼね)、大奥勤務の男子役人の役所である御広敷(おひろしき)があった。当然、御広敷と長局や御殿向とは厳重に区別された。御殿向や長局は男子禁制だったが、老中や留守居(るすい)は検分に入り、大奥女中の縁者など9歳以下の男子も入ることができた。また、奥医師も診察のために大奥に入ったため、諸藩では奥医師を介して大奥女中に工作を試みることもあった。作事や畳替え、大掃除などのときは職人や人夫が御殿向や長局に入ったが、御広敷番の頭らに厳重に監視され、大奥女中の顔を見ることはなかった。
江戸城(えどじょう)
徳川家康が天正18年(1590)に江戸に入府した際に入った城郭で、将軍就任とともに本格的に建設に着手し、3代・家光のころまで断続的に工事を行った大城郭。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
大奥女中(おおおくじょちゅう)
大奥に勤務する女中で、御年寄をはじめとして多くの役職があった。
老中(ろうじゅう)
通常、江戸幕府の政務を統轄する最高職で、若年寄の補佐を受け、日常政務を執行する。
留守居(るすい)
大奥役人の最高責任者で、町奉行や勘定奉行などを務めたエリート旗本が、大目付を経て引退前に就く役職。
御広敷番の頭(おひろしきばんのかしら)
御広敷番頭(おひろしきばんがしら)ともいう。大奥に通じ、将軍のみが通ることのできる御錠口(おじょうぐち)を警護する御広敷添番や伊賀者を統括する役職。