大奥に勤務する女中。上から、上御年寄(じょうろうおとしより)、御年寄(おとしより)、中年寄(ちゅうどしより)、御客会釈(おきゃくあしらい)、御中(おちゅうろう)、御錠口(おじょうぐち)、表使(おもてづかい)、御次(おつぎ)、右筆(ゆうひつ)、呉服之間(ごふくのま)、御広座敷(おひろざしき)、御三之間(おさんのま)、仲居(なかい)、使番(つかいばん)、火の番(ひのばん)、御末(おすえ)などの役職があった。御年寄は老女とも呼ばれ、女中のトップに君臨した。上御年寄は、御台所に付いて京都から下った公家の娘で、身分は高いが権力はもたなかった。御三之間以上は旗本の娘で、ここから御次、御中と昇進していった。女中は、御側(おそば 将軍や御台所の世話をする役)系の者と役人系の者に分かれる。御側系は、御次、御中などで将軍の寵愛(ちょうあい)を受けやすい。老女の文書を執筆する右筆(ゆうひつ)、大奥の外交や男子役人との折衝を担当する表使(おもてづかい)、御鈴廊下を監視する御錠口などは役人系の者で、順次昇進して老女となる。ただし、大奥では、「一引、二運、三女」といわれ、出世のためには上の者の引き立てや運が必要だった。仲居以下は御家人の娘で、まれに町人や農民の娘もいた。このほか、大奥女中が私的に召し使う部屋方と呼ばれる女中がおり、多く町人や農民の娘が雇われた。部屋方女中は宿下がり(休暇)が容易に許されるなど行動も自由で、上野の不忍池(しのばずのいけ)あたりにあった出会茶屋(であいぢゃや)で男と密会することもあった。
大奥(おおおく)
江戸城内にあった将軍の正室や側室の住居。
御台所(みだいどころ)
将軍の正室で、公家の最高の家柄である五摂家か世襲親王家から娶(めと)ったが、例外もあった。
公家(くげ)
朝廷に仕える貴族や五位以上の官職にある官人。最高位の家柄は摂家。次いで、清華家(せいがけ)、大臣家(だいじんけ)などと続く。各大臣の下、文官で大納言、中納言、参議、武官で大将、中将、少将などの官職についた。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
御家人(ごけにん)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以下(将軍に拝謁できない)の者をいい、約1万6000人いた。
部屋方(へやかた)
大奥女中が私的に使う女中で、長局に与えられた大奥女中の部屋に同居して勤務した。