将軍の正室(せいしつ。正妻のこと)。周囲の者からは「御台様(みだいさま)」と呼ばれた。将軍家では、2代・秀忠の正室・お江与(おえよ。浅井長政の娘)のほかは、公家の最高の家柄である五摂家(ごせっけ)の近衛(このえ)、鷹司(たかつかさ)、九条、二条、一条か、宮家の伏見宮(ふしみのみや)、桂宮(かつらのみや)、有栖川宮(ありすがわのみや)、閑院宮(かんいんのみや)の世襲親王家から正室を娶(めと)った。ただし、3代・家光は、正室の鷹司孝子を疎んじ、御台所の称号も与えなかった。11代・家斉は一橋家にいたときに婚約した薩摩藩主・島津重豪(しまづしげひで)の娘・茂姫(しげひめ[寔子・ただこ])を正室とした。大名家の娘が御台所になるのは初めてのことだったが、形式的には近衛家の養女として嫁いだ。これが先例になり、13代・家定は、3番目の正室として島津斉彬(しまづなりあきら)の養女・篤姫(あつひめ。敬子[すみこ]、のちの天璋院[てんしょういん])を御台所に迎えた。このときは、斉彬の実子とし、近衛家の養女として娶ったが、御三家などには不満の声もあった。7代・家継は、霊元天皇の皇女八十宮(やそのみや)と婚約したが、夭逝したため結婚は実現しなかった。14代・家茂が、公武合体政策のため仁孝天皇の皇女・和宮(かずのみや)を娶ったとき、これが先例とされた。歴代の御台所のうち、産んだ子が将軍となったのはお江与だけで、前期の御台所は飾り物的存在だったが、10代・家治以後は御台所と通常の夫婦関係があり、子供も生まれた。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
公家(くげ)
朝廷に仕える貴族や五位以上の官職にある官人。最高位の家柄は摂家。次いで、清華家(せいがけ)、大臣家(だいじんけ)などと続く。各大臣の下、文官で大納言、中納言、参議、武官で大将、中将、少将などの官職についた。
御三家(ごさんけ)
徳川家康の9男・義直を祖とする尾張家、10男・頼宣の紀伊家、11男・頼房の水戸家のこと。