大奥には、御台所や姫君方の御用を勤める用人(ようにん)、大奥の警備を行う御広敷番の頭(おひろしきばんのかしら)、その部下である御広敷添番(おひろしきそえばん)などの男子役人がいた。これらの役人が勤務する役所が大奥の玄関内にある御広敷(おひろしき)である。大奥役人の最高責任者は留守居(るすい)で、これは町奉行や勘定奉行などを務めたエリート旗本が、大目付(おおめつけ)を経て引退前に就く役職である。これは、幕府との折衝を行う諸藩の留守居とは別の存在である。節分のときは、豆まきを担当し、女中たちに胴上げされたという。ほかに、二の丸留守居、西の丸留守居などの役職もあり、多くは老人が任用された。御台様用人(みだいさまようにん)は、大奥役人の取締役である留守居の指示を受け、御台所が用いる物品の調達などを行った。大番家筋(おおばんいえすじ。初任の役が大番となる家格)などの必ずしもエリートとはいえない旗本が就任したが、働き次第によっては勘定奉行などに抜擢(ばってき)されることもあった。御広敷番の頭が「番頭」と呼ばれないのは、大番頭、書院番頭、小姓組番頭(こしょうぐみばんとう)が役高5000石の家柄の良い旗本が就く役職だったため、同じ呼び方を避けたものである。単に「番の頭(ばんのかしら)」とも呼ばれた。添番(そえばん)は、下級の旗本で、新参の者は下級の女中である御末などにからかわれることもあった。
大奥(おおおく)
江戸城内にあった将軍の正室や側室の住居。
御台所(みだいどころ)
将軍の正室で、公家の最高の家柄である五摂家か世襲親王家から娶(めと)ったが、例外もあった。
御広敷番の頭(おひろしきばんのかしら)
御広敷番頭(おひろしきばんがしら)ともいう。大奥に通じ、将軍のみが通ることのできる御錠口(おじょうぐち)を警護する御広敷添番や伊賀者を統括する役職。
町奉行(まちぶぎょう)
町奉行所の長官で、寺社地と武家地を除く江戸の行政担当者。警察業務や司法業務を日常的に遂行し、消防や災害救助も行った。
勘定奉行(かんじょうぶぎょう)
勘定所の長官で、幕府財政を担当するとともに、幕府直轄領の民政、徴税、司法にもあたり、定員は4人。
旗本(はたもと)
1万石未満の将軍の直臣で、御目見得以上(将軍に拝謁できる)の者をいい、約5000人いた。
大目付(おおめつけ)
幕臣の監察にあたる役職を目付といい、大目付は大名の監察にあたる役職で、町奉行や勘定奉行を勤めた旗本が任じられた。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。
藩(はん)
将軍から1万石以上の石高(こくだか)を与えられた大名が治める、それぞれの地域に設けられた政治機構。