天皇の娘が将軍あるいは将軍世子(せいし。世継ぎ)に嫁ぐこと。将軍家では、親王家あるいは五摂家から御台所を迎えていた。これは、紫衣事件(しえじけん。寛永4年[1627]、天皇が高僧に与えた紫衣を幕府が剥奪した事件)で譲位した後水尾天皇(ごみずのおてんのう)が幕府との縁組を嫌ったことにより、慣行となったと見られる。7代将軍・家継は、幼少時に6代将軍だった父・家宣を失ったため、家宣正室・天英院(てんえいいん)、家継生母・月光院(げっこういん)の強い要望で、霊元天皇の皇女・八十宮吉子(やそのみやよしこ)を正室に迎えることにした。しかし、家継が夭逝したため、婚約のみで終わった。幕末の混乱の中で、幕府権威を立て直すことを課題とした14代・家茂は、孝明天皇の妹(仁孝天皇の皇女)和宮親子(かずのみやちかこ)を御台所に迎えるが、このとき、家継の婚約が先例としてもちだされている。和宮は、内親王として家茂に入輿(じゅよ。貴人の嫁入り)し、本来は親王家や摂家の正室を呼ぶ御台所の称号も用いなかった。
将軍(しょうぐん)
幕府の主権者で、形式的には朝廷から任命される。正確には征夷大将軍で、大臣を兼ね、正二位に叙された。
五摂家(ごせっけ)
公家の最高の家柄である、近衛(このえ)、鷹司(たかつかさ)、九条、二条、一条の5家。
御台所(みだいどころ)
将軍の正室で、公家の最高の家柄である五摂家か世襲親王家から娶(めと)ったが、例外もあった。
幕府(ばくふ)
武家の政府で、もともとは近衛大将や征夷大将軍の居所を指したが、鎌倉幕府以来、征夷大将軍に任じられた武家が政治を行う場所やその政府のことをいった。