刑事事件の容疑者を連行する際、抵抗の恐れがあるときに、与力や同心が出張することをいう。捕り物の際は、与力の指揮のもと、同心が小者を連れて行い、同心は、刃引き(刃を除いている)の長脇差(ながわきざし)を持ち、容疑者が抵抗したときは、これを抜いて相手を攻撃する。与力は、検使(けんし、見届ける役)なので、通常は見ているだけである。捕り物は、容疑者を連行することが目的だから、時代劇のように立ち回りを演ずるのは好ましいことではない。そのため、容疑者に手際よく縄をかける修練をたえず行っていた。ただし、大捕り物のときは、刺股(さすまた)や梯子(はしご)などを使って捕縛する。三廻(さんまわり。隠密廻・定廻・臨時廻)同心が町を巡回中に訴えがあったときは、小者に捕らえに行かせる。目明し(岡引き)は、町奉行所に届け出ている小者とは違い、同心がまったく私的に抱える捜査補助者にすぎず、本来は情報提供をするだけのはずだが、容疑者を番屋(自身番)へ連行することは日常的に行った。
与力(よりき)
町奉行所に勤務する役人で、年番方をはじめとしてさまざまな掛(かかり)に分かれ、それぞれに同心が配属された。
同心(どうしん)
町奉行所にて、さまざまな掛(かかり)に分かれた与力のもとに配属される役人。町奉行所には100〜120人ほどが勤務した。
小者(こもの)
武士が雇う使用人である武家奉公人の中にあって、最下位にあたり、武士身分ではなく、武士の草履取りなどを務めた。
目明し(めあかし)
同心に私的に抱えられ、犯罪捜査のために町を見回る者で、蔑称的に岡引き(おかっぴき)とも呼ばれた。その子分を下引き(したっぴき)という。
町奉行所(まちぶぎょうしょ)
現代の東京都庁と警視庁に、下級裁判所の機能まで持たせたような役所で、北町奉行所と南町奉行所の2カ所であるが、元禄15年(1702)から享保4年(1719)までは中町奉行所もあった。
番屋(ばんや)
江戸の町々にあった防犯のための施設。町の会計である町入用(ちょうにゅうよう)で設けられ、町入用で雇われた書役と町名主や家主らが自身番として詰める。
自身番(じしんばん)
町の会計である町入用(ちょうにゅうよう)で設けられ、町入用で雇われた書役と町名主や家主たちによる自警組織。江戸に200余〜300ほどあったと見られる。